このブログには前置きなんてものはないので、直球かつ核心からついていきます。
主(あるじ)とはあなたが直接仕えているものの事を言います。ここで食い違いのないように伝えておきますが、ここで言う主とは宗教的な主(しゅ)でも、信仰している師でもありません。
ましてスピリチュアル的なつながりとも関係ありません。
もちろん神様でもありません。
肉体のない、本来のかたちになったあなた自身が仕えているもののことです。
さてなぜ私が主(あるじ)がわかるのか。
私はこの現実世界にいながら度々肉体から離れます。
こちらの時間でいうならば1年のうち半年以上。むしろこの世界に本体を置いている時間はわずかと言ってもいいくらいです。
肉体に本体が不在になるとどうなるか。空の状態を悟られないように、主(あるじ)の指示の元、他の使いが私の肉体を護ります。たくさんの能力の強力な欠片を肉体の中に散りばめておくのです。
そうすると、肉体の機能は停止せず肉体に本体が戻った時は何事もなかったかのように呼吸を始めます。
私の肉体を動かすのはとても大変で、本体が不在の間、心の臓を動かすので精一杯です。
なので、当たり前のように肉体は行動をすることができません。つまり、通常の生活は困難な状態になります。
週5の正社員なんて以ての外。週の半分以上は時空の旅をするため、普通の仕事なんてしてられません。できるのはせいぜいアルバイトなどの非正規雇用で、この制度は大変満足しています。
時空の旅を毎度繰り返していれば、主との接点は増えます。なので私は主がどういったものなのかがわかります。
主は絶対で強力な能力を持ち合わせています。ですが、脆い一面もあります。
主のイメージとはかけ離れた、大変感情豊かな存在です。
私の知る主たちに共通するのは、無邪気さと冷酷さです。言葉で伝えるのでこれらの言葉がしっくりきている訳ではありません。゛無邪気さと冷酷さという言葉が一番近い゛という事です。
無邪気さというのは、革命をすぐさま湧き起こすことです。時空や能力は常に変化しています。主が動かないとあなた自身が身動きが取れない状況や、我慢を強いられる時期が長引きます。主は遅れることなく先手を打って革命を都度巻き起こします。
冷酷さというのは、何者かが能力の暴発や遊びを行ったときに能力を”削る”事をします。あり過ぎる能力はただのゴミと見なし、その者が使える範囲だけの能力を渡します。
主は能力の暴発を何よりも嫌います。無駄な暴発は主自身を脅かす危険なものだからです。暴発は誰も止められません。1度でも暴発したら、周期的に暴発は繰り返されます。あなたも例外ではありません。
これはあなたという使いを例にしましたが、主も暴発する時があります。
その時は使い全てが被害に合うことになります。
この現実世界でいうと、自然災害が一番近いでしょう。自然災害は誰にも予測出来なくて防げるようなものでもありません。起きてしまったら最後。災害が収まるまでじっと耐え忍んでいることしかできません。
能力の暴発は、時空を旅する上で避けられない出来事ですが事前に防げる手立ては主にしかわかりません。能力の中に自己防衛システムのようなものがあるので、それを起動すれば暴発は事前に防げます。
今回は主の活動の1つをお伝えしました。なにが言いたいのかというと、主はこちらの神様や主(しゅ)のようになにも神々しい存在ではありません。
常に対等でいられる自由があるということです。
主とあなたの唯一の違いは能力の格だけです。
主を知れば知るほど、私は主が愛おしくてしょうがないのです。人間味とは程遠いながらも、今日の人間の元を辿って行くと必ず主たちの欠片がみえてくるのですから。
人間を作った妖とハジャは、やはり傍にい続けられない主たちを思い出しながら蟲たちにプレゼントしたと言うのも納得が行くのです。
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